カサンドラ症候群からの回復…。別居2年目の子育てを振り返る

先日、別居1年目の心境を振り返りました。

ひとり暮らしすらしたことがなかった私が、いきなり2歳の息子とふたりで暮らすことになり、クタクタになりながらも、「すべて自分で決められる喜び」をかみしめていました。

2年目になってからの心境の変化はどうだったのか、振り返ってみたいと思います。

 

とにかく楽しいことをしよう

毎日のスローガンのように、「楽しいこと」を探していました。

やっていける範囲内であれば、遊びたいだけ遊べばいいと思っていました。

息子の笑顔を守りたい。楽しい経験をたくさん残してあげたい。今もその想いは変わりません。

電車でたくさんお出かけしました

息子をベビーカーに乗せて、いろんな電車に乗りました。

電車が大好きなので、乗っている間はずーっと音を楽しんでいるのです。

唯一、私がくつろいでも良い時間でした…。始発から終点まで、ひたすら寝続けて、疲労回復していました。

思いっきり寝ていると、必ず周りのオバチャンたちが息子と遊んでくれています。いつも本当にありがたくて…。

「ひとりで子育てしてないよ」と、感謝の気持ちでいっぱいになって帰っていました。

そんな、ギリギリの精神状態で生きながら、「抜け道」を探すことが楽しくて…。

今も電車が好きなので、よく乗っています。そして、私は、寝るのです…(笑)

料理もたくさん勉強しました

「買った方が美味しいから!」と言われて作らせてもらえていなかった、パン作りを勉強したり、作り置きおかずにチャレンジしてみたり…。

それまでできなかったことに、少しずつ挑戦していました。

料理を作ることは大好きなのですが、夫の偏食に合わせながら作っているにも関わらず、何を作っても評論家のように論じられていたため、絶対にレシピを見ていたのです。

「もしまずかったら、全部レシピのせいにすれば良い」と思っていました。

別居2年目、まだレシピを見ながら作っていました。そして、4年目の私は、レシピがめんどくさくてもうわかりません…(笑)




本当は何がしたいのかわからない

別居する前、「幼児食の勉強がしたい」と夫に言ったことがありました。

栄養や調理の仕方をきちんと習ってみたいと思ったのです…。

すると、夫に「え?料理嫌いやのに?」と聞かれたのです。

今、思えば、その時に受けた違和感が原因で、夜にモヤモヤして考えて眠れなくなり、夫の発達障害を疑い始めるようになったのでした。

否定されていたことを無理矢理しているだけ?

そんな別居2年目…。一生懸命、料理を勉強しながら、楽しんでいると、ふと、「否定されたから、無理矢理好きなフリしてるだけじゃない?」と自問自答する自分がいるのです。

完全にそのトラウマと闘っているのですが、自分自身がわからなくなり、「本当に好きなもの」を見出せずに苦しみました。

その根底には、母との関係もありました。短大で保育を学んだのに、反対されてその道に入らなかった自分の選択にも、20年以上過ぎてから悩みもがく日々でした…。

子育てが忙しすぎて、まったくわからない

やりたいこと、資格、特技、すべてノートに書きだしました。

でも、何がしたいかなんて、結局は何もわからず…。

カサンドラ症候群だからこんなに生きづらくなってしまったのか、それまでの積み重ねなのか、子育て中だからなのか、まったくわからないままどんどん時間が過ぎていったのです。

 

いつか、働ける時が来る

ある日、同い年の子どもを育てる友達が、お金がないとボヤいていました。

「今は貯金なんてできへんけどな、そのうちナンボでも働けるねん!!」と言ったのです。

「あっ!それや!」と、なんとなく気持ちが落ち着いたのでした…。

子育てが落ち着くごとに稼げる時が来る

24時間365日、子育てに追われていた別居2年目の私を振り返って、何かしたいことなんてできる時間も余裕もなくて当然だったのです。

今、息子が幼稚園に通い始めて、家で少しずつ仕事をいただくようになり、ようやく少し動けるようになってきました。

小学校に入ると、お弁当を作ったり、送り迎えをする時がどんどん少なくなると思うので、またさらに時間が増えると思うのです。

そして、その数年後、「おかん、うざいわ」と言われ始めたら、大喜びでやりたいことを思う存分できると思うのです。

それまでに、たくさんの経験を積んで、勉強したり資格を取ったり、今の自分ができることを最大の範囲でやっていけば良いのだと思えるようになりました。

ただ、あの「何がしたいかわからない」と思っていた時期の辛さだけは忘れられず…。

数年間だけのトンネルなのですが、あんなに暗く長く悩み続けたことは、他にないと思います。

養ってもらっていることへの感謝

「今できることだけしよう」と決めた瞬間、夫に養ってもらっていることへの感謝の気持ちが芽生えました。

離れて暮らしていながらも、毎月、振り込んでくれていることに感謝して過ごすことができるようになりました。

実は現在もらっている金額では全くやっていけていないので、少しずつでも収入を得られるようにすることは必要ですが、在宅で仕事をしている以上、その時によって浮き沈みがすごいのです。

ここで、もし、同じことを考えている方がいらっしゃった時のことを考えて書きますが…。

もし、ご主人がアスペルガーの場合、口頭でお金が足りないことを伝えると「こっちもないし」と論破されてチャンスを逃すので、限界まで踏ん張って、文字で一気に事務的に伝えることをおすすめします。

私もそろそろ文字でお伝えしなければいけない時期なのですが、そこがいちばん大きなストレスなのです…。




焦らずに、ただ流される数年間

「ただただ、流されるだけの数年間があっても良いと思うの…。」

別居2年目に、占い師さんに言われました。

「カサンドラ症候群と呼ばれるもので寝込んでしまって…」と言った瞬間、すべてを察してくださった方でした。

アスペルガー症候群の方が、環境や心の変化をゆっくりと捉えられることが多いと言われています。

だからこそ、その環境を無理に素早く変えようとしてしまうのではなく、落ち着いて待つことをしてみてはどうかと言われました。

私自身、息子の病気のこともあり、まだ大きく動いて良い状態ではないので、本当に、ただただ、流され続けて4年目に入りました。

このまま流され続けても良いかも知れないと思うぐらいにまで、息子とふたりの生活になじんできています。

そう考えられるようになったのは、3年目のことでした…。

 

次回、3年目の気持ちを書きたいと思います。

 

 




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